社会常識としての日経「たわわ」問題(追記済

承前
 
国連女性機関(以降UN)と日経の件について、あまりにひどいことになっているので簡単にまとめておく。
 
 
UNは「アンステレオタイプアライアンス」という運動を行なっている。
これは男らしさ・女らしさなどの性別役割・性別イメージのステレオタイプ(型通りのきまりきった表現)を広告で使うのはもうやめよう、という趣旨の運動で国連機関の主導で行われている。
概要は以下の通り。
 
2017年にカンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルにて発足したUnstereotype Alliance(アンステレオタイプアライアンス)は、UN Women(国連女性機関)が主導する、メディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプ固定観念)を撤廃するための世界的な取り組みです。アンステレオタイプアライアンス日本支部は、2020年5月に設立されました。
企業の広告活動がポジティブな変革を起こす力となり、社会から有害な(原文ではnegative 引用者注)ステレオタイプを撤廃することを目的とし、持続可能な開発目標(SDGs)、特にジェンダー平等と女性・女児のエンパワーメント(SDGs 5)の達成を目指します。
 
 
 
リンク先を見れば一目瞭然であるが、UNが行なっている「アンステレオタイプアライアンス」という運動において、日経は日本で唯一のfounding menber、つまり日本で唯一の創立メンバーである。
したがって、日経は「メディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプ固定観念)を撤廃する」運動において、非常に大きな役割と責任を果たすことをUNから期待されているといえる。逆に言えば日経側にとっては国連機関からSDGs推進に熱心な企業というお墨付きをもらうことにもなり、巨大なメリットのある話といえよう。
そして国連機関と日本を代表する新聞社の正式な提携であるから、当事者同士の約定や覚書も当然にあるだろう。
以上が前提である。
 

4月15日のハフィントンポストで、UN日本事務所長が日経に対し、「アンステレオタイプアライアンス」の「覚書」に違反していることを抗議しているという報道があった。
 
UN Women 本部は4月11日、日経新聞側に宛てた文書の中で、同社がUN Women とこれまでに交わした覚書などへの違反を指摘し、『月曜日のたわわ』の全面広告を「容認できない」として抗議した。
 
 
石川所長は、同社がUN Women と交わした覚書などに反したことを問題視。あくまでも、こうした規約違反への異議申し立てであり、「国連機関が一般の全ての民間企業の言動を監視し、制限するわけではありません」
 
 
学校制服を来た未成年の女性を過度に性的に描いた漫画の広告は「女子高生はこうあるべき」というステレオタイプの強化につながるとともに、あたかも男性が未成年の女性を性的に搾取することを奨励するかのような危険もはらみます。UN Women は、このような広告を掲載することに反対です。同社がUN Women と交わしてきた覚書などにも反しています。
 
 
 
記事内から「覚書」と関連する3箇所を引用した。
UNから日経への抗議は、日経とUNがこれまでに交わした覚書に違反しているから行われており、国際機関が全ての民間企業の言動を監視し制限するわけではない、つまり検閲ではないことが明言されている。当事者同士の約定の話なので、外圧でもない。
つまりUNの抗議は、日経側の約定違反に対してなされたものである。
 
 
ところが、冒頭にリンクしたはてブ欄であるが、4/16 23時ごろのトップブコメに上記のことを理解したものが、ただの1つもない。スクショを貼る。
 

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当事者同士の約定違反の話であるから、検閲でも外圧でもないのだが、検閲というのがトップブコメ、外圧が2番め。その他の☆上位ブコメも、当事者同士の約定違反という基本認識がされているとは思えないものばかりだ。
びっくりしている。
 
 
記事中には「覚書に違反」という表現が3度もでてきているのだが、まともに読んだとはとても思えないブコメに大量の☆がついている。自分と意見や立場の異なる見解に対して、理解することを完全に拒絶しているものが圧倒的な多数なのだ。
無論、ブコメ一覧を確認すると、UNと日経の約定の問題だという認識を示したブコメもいくつかあるし、それなりの☆もついているのだが、圧倒的多数はそうした冷静な事実認識を頭から拒絶しているのである。
くりかえしていうが、びっくりしている。
 
 

さて、UNに対して否定的な見解のなかに、この約定の問題を考慮しているものがある。これを検討する。
 
「誤解を招かないように申し上げますと、アンステレオタイプアライアンスは炎上する広告を作らないためのネガティブチェックをしているわけではありません。ポジティブで深みのある広告を検討するための視点として、3つのPを示しているのです。」
 
 
 
ネガティブチェックというのは「やってはいけないことの一覧」からのチェック、ポジティブチェックというのは「やることを推奨されることの一覧」からのチェックのことである。
ここでの石川氏の発言については、
このあたりが根拠と思われる。ジェンダーの多様性に配慮した広告のほうが効果が高いですよ、という調査結果があるようだ。(ちなみに、アンステレオアライアンスがネガティブチェックをしない、という旨の発言については、僕が確認した限りでは日本語圏ではここだけ、本部の英語ページでは確認できなかった。もちろん、僕の調査能力は貧弱なものなので、見つけた方は指摘していただけると幸甚です。)
 
さて、この部分(とリンク先の英文資料)を読んで理解できるのは
・アンステレオタイプアライアンスは広告に対して駄目なところをチェックをするのではなく、こうすると素敵だし効果的だよという提案をする
ということである。
 
 
ところがこの部分をこう読む人たちがいる。
 
 
ポジティブチェック(当てはまっていれば加点)のための指標として設定していたものを急にネガティブチェック(当てはまっていなければ減点)の指標として使いだすの、不適切だと思います。
 
 
 
これに現時点で☆70ついており、また、同様な主張もいくつか見かけた。支持されているようである。
これも驚きだ。
 
 
なぜなら、「ポジティブで深みのある広告を検討するための視点」の提示であってネガティブチェックではない、という石川氏の発言は広告に対する評価基準であって、加盟企業に対する評価基準ではないからだ。
 
そう断言できる理由はある。
 
以下に、アンステレオタイプアライアンスへの入会申込のページのスクショをはる。

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見ての通り、典型的なやったら駄目なことのリスト、つまりネガティブリストだ。
企業の行動に関して、ネガティブリストでチェックがあることは一目瞭然である。
 
 
つまりこういうことだ。
前提にネガティブリストがある。そしてそのネガティブリストをパスした企業が会員になる。そうした企業の広告に対しては、ネガティブチェックを行わず、ポジティブな提案をする、ということだ。
言い方を変えよう。
ネガティブチェックはすでに終わっている(はず)なので、あとはポジティブな提案でいいですよね、という話なのである。「私たちのところは性差別なんてやらないと宣誓した立派な企業の集まりですから、ネガティブチェックなんていりません」という話なのだ。
 
 
しかも、アンステレオタイプアライアンスにおいて、日経は日本で唯一の創立メンバーである。ただの参加企業とはわけが違う。それを指摘しているのが「覚書」という語なのである。石川氏のインタビューで、規約と覚書の使い分けがされているのに、注意深い読者は気づいているだろう。
一般参加企業よりもはるかに厳しい「ネガティブリスト」が日経に課されていると考えるのが当然である。
会員規約あるいは覚書というネガティブリストに基づき、UNは日経に約束違反だと抗議しているのだ。
 
 
よって、「ポジティブチェック(当てはまっていれば加点)のための指標として設定していたものを急にネガティブチェック(当てはまっていなければ減点)の指標として使いだすの、不適切だと思います」という発言、こうした考え方がまるで的はずれなものであると明白になった。
この部分についてはhepta-lambdaさんの発言に一定の正当性があると考え直した。
詳しくはコメント欄やりとり(hepta-lambdaさんのブログ記事リンクを含む)を参照。
以上、再追記 4/17 14:25ごろ)
 
UNを批判するトンデモ意見の主要なものを批判した。いずれもまるで論理の体をなしていない。
というか
僕がここで書いたことは、企業間(どころか個人間でも)の取り決めについての基本もいいところであろう。当事者間の約定の話を表現の自由の話にしちゃうのはなんなのだろう? 
 
メディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプ固定観念)を撤廃する」
と他でもない日経が自分でそう宣言した。ジェンダー平等のための立派な広告をやりますと誰に強制されたわけでもなく宣言したんだよ。
「おまえメディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプ固定観念)を撤廃するって自分から約束したよね。なに約束破ってるの?」と文句いったら表現の自由の侵害か?
 
 
ネガティブチェックがどうこうってのも、ほんとに社会常識がない。そもそもネガティブリストのない会員規約・加盟規約なんてもんがあるわけねえだろ? なんでそんなことがわかんないの? 石川氏はインタビューで何度も規約や覚書に言及してるんだよ?
 
 
この問題は、表現の自由の問題なんかじゃない。徹底して社会常識の問題である。
もっといえば、表現の自由の問題が背後にあると、いきなりバグって社会常識を完全に失ってしまう人たちがこんなにも多いのだ、という問題なのである。
 
 

以下追記

非常にカロリーの高い批判的ブコメにいくつかに応答しておこう。
 
「社会常識」とは素晴らしく保守的な発想ですね

 

これが 4/17 13時頃の時点で☆119
他にも「社会常識」に噛み付いているブコメが複数見られる。この文で僕が「社会常識」といっているのは以下のようなものである。
・批判するまえに相手の主張を理解する
・約束を守るのは当然(なのでこの問題は表現の自由ではない)
・当事者間の約束に関するやりとりは外圧ではない
・会員規約の類に「〜してはいけない、という約束(=ネガティブリストによるチェック)」は必ず含まれる
 
見ての通り、ここで僕が「社会常識」といっているのは、義務教育終了したなら身につけてなくてはならない程度の知識や読解力、さらには他者を批判する場合に何が必要なのかの理解のことだ。なのでそう読み替えてほしい。
その上でマジレスしておくと、
「批判する前に相手の主張を理解するとか約束を守るのは当然とかいうのは、保守ではなくて社会人なら誰でも守るべき最低限のことですよ。」
となる。
 
この文章に対する
「社会常識がなんだっていうんだ」というたぐいの批判は
「批判する前に相手の主張を理解しろとか、約束を守るのは当然とか、そんなことがなんだっていうんだ」
と読み替えていただきたい。実に味わいが深い。
 
 
「(ネガティヴチェックであることは)一目瞭然」ではないですね/「私が、私の中の社会常識に照らして一目瞭然だと思った」なら合っている/「あいつらは常識がない、私たちはある」は言説の正しさを保障しません

これが 4/17 13時頃の時点で☆108

 
「ネガティブチェック」の意味を理解していない。
たぶん、「ネガティブチェック」の意味がわからない人がいるだろうから、文中でも何度か説明をしているのだが、それでもやっぱりわかっていない。ネガティブチェックというのは「やってはいけないこと、これをやっていたら除外・排除される事項をチェックすること」という形式の問題で、中身の問題ではまったくない。「言説の正しさ」の問題ではそもそもない。
 
この手の批判にもなっていないものにうれしがって☆をつけているお歴々についても、読みも理解もせずに相手の主張を頭から否定しているのはやばい、という僕の主張が裏付けられたものと思う。
こちらが頼みもしないのに僕の主張を裏付けにきてくれてありがとう>トンデモブコメをつけた人とそれに☆をつけた人たち
 
 
以下に、特にひどくはないが、批判的ないしは疑問を呈した上位ブコメに応答する
 
契約の話であればハフィントンポストが報じてるのがおかしいんじゃないのって思うんだよね。UNWomenと日経の話のはずなのになんで主体がハフィントンポスト(日本)なんだよって。正直燃やしたいだけにしか見えない。
報道すると主体になってしまう、という論理が僕にはわからない。
また「〜したいだけにしか見えない」といわれても、他者の意図の問題は論証が不可能か非常に困難なので言及するつもりはない。
 
外部にはわからない二者間の取り決めで揉めている最中ならその規約、覚書違反の具体的な内容を示さずに抗議している事だけを公表し報道してしまうのは色々と問題がないかな。

覚書のなかに守秘義務がどう書かれているか次第。もし守秘義務が書かれていたら、日経はその旨の反論をすると思う。

 
『制服女子を性的に描いた漫画の広告は「女子高生はこうあるべき」という固定観念つながり、男性が女子を性的に搾取することを奨励するかのような危険をはらむ』 つながりません それだけの話
当事者間の意見相違の話において、第三者がどう思うかはここでは意味がない。それだけの話。
 
SDGsが現状ポジティブチェックなのは間違いないわけで、その理念を土台に設立された団体は当然ポジティブチェックで運営されるべき。校則/団体規約がより上位の法律を上回ることはないのと同じ。著者の論理は無理筋
現にネガティブリストにおけるふるい分けがなされている。
また、「〜してはならない」というチェック抜きに会員規約や加盟規約は成立しないと本文にも書いた。どのような社会や団体も、その運営にあたりネガティブリストによるチェックは必須である。例えば、刑法は典型的なネガティブリストだといえよう。
また
「校則/団体規約がより上位の法律を上回ることはない」は団体規約と法の関係を誤解している(たぶん、上位法優先の原則を誤解している)。これは就業規則労働基準法との関係が典型である。就業規則労働基準法の基準を「下回ってはならない」のであって、上回る分にはなんの問題もない。「法は最低の倫理」とよくいわれるわけで、多くの団体規約は法よりも高度な要求をするのが一般的である。