労働者が与党をあてにできないリアリズム

前回記事(なぜ労組は政治活動をしなくてはならないのか(追記アリ - tikani_nemuru_M’s blog)の追記のとおり、ブクマコメなどに応答する。なんか長くなりそうなので数回にわけることになる。
「なぜ労組は護憲だの平和だのをやるのか」について前回の説明は確かに少々不親切なものであったのでそのあたりを掘り下げたいのだが、今回はその前提となるところを述べることになる。
 
 

前回記事への反応でもっとも多かったのは、
 
基本的本質的な部分はわかってるので「何故優先順位や力をかける熱量が我々の求めるものと違うのか」このあたりで労働者たちの信用を得られていないことが今の労組の問題点じゃないのかな?

 

 
に代表される「労組に政治活動が必要なのはわかってるんだよ。ただ、リソース配分がおかしいだろ」というものであった。
これは当然の反応だ。僕も前回結論部で書いたとおり、僕自身も平和活動や護憲運動については必要性は認めているが、冷淡に接している。なんでこういうリソース配分になっちゃっているのか、という話をこれから数回かけて考えていくつもり。
 
 
ただ、「基本的本質的な部分はわかってる」というのは道理のわかる人にとってはその通りではあろう。しかし労組の政治活動について頭ごなしに否定するブクマもいくつか見られたのも確かだ。労組の政治活動の必要性を説明することに明らかに重点をおいた前回記事に対して、すり替えだのごまかしだのとわめきちらすだけのブクマも一定数見られた。無論、労組の政治活動の重要性を否定するなんらの具体的な論拠をともなったものは700を超えるブクマのなかにただのひとつもなかった(あるわけないのだが)。
「労組の政治活動の必要性自体を否定するものはいない」というブコメもちらほらあるが、現にそれがどうしてもわからない、あるいはわかりたくない馬鹿はブクマで可視化されているし、決して例外の存在ではない。基本的な道理を前提を確認する必要があったことをまず再確認しておく。労組の政治活動は必須だ。
 
 
また、現状の労組に大いに問題があることと、政治活動が絶対的に必要であることはもちろん両立する。ここがわかってなさそうなブコメもちらほらあった。
 
 

で、ここでまず応答するのは
 
他の人も書いてるけどまじで政治活動が必要だっていうならもっと与党と丹念に調整をして実利を引っ張ってこいよ。政治とは利害調整だぞ。反与党で吹き上がるだけの政治活動なんてむしろ労働者の足引っ張ってるだろ。
 
労働法改正が狙いなら与党にロビイングしたほうが効率良くない?

 

 
あたりに代表される意見だ。前回記事へのブログへのコメントにも同趣旨のものがあった。
 
 
こうした意見は政治的なリアリズムをもとにしたもののように一見思えるのだが、実際はその逆であることを説明しよう。ほぼ3ステップで事足りる話である。
 
 
1)政党政治における政党というのは、ぶっちゃけ支持基盤の利益代表である
2)自民党は基本的に資本家(財界や自営業者など)の利益を代表する政党である 
3)資本主義社会において、資本家(経営側)と労働者は構造的に利害が対立する
 
 
いいですかい?
自民党には財界という昔からなかよくツーカーで仲良しこよしの関係をきずいてきた、しかもふっとーいパトロンがいるんですよ。
もちろん、政治家や政党なんてものは貪欲なものだから、援助してくれるなら拒まないし美味しい汁は吸いたいだろう。
しかしね、財界と労働者ってのは構造的に利益が対立しているわけで、労働者のいうことを本気で聞いたらぶっといパトロンの財界側を怒らせることになるなんて当たり前もいいところ。自民党が労働者の利益のために本気で動くなんて妄想は、お花畑の極限超えですよ。
それとも労働界と財界で与党に貢ぎ合戦をするの? 資金力だけで考えても勝ち目がないうえ、自民のセンセイがたの多くは労働運動なんて生理的に好かないお歴々ですよ。
 
 
もちろん、資本家といっても様々でその権益構造も複雑であり一枚岩ではない。それに、労働者には消費者の一面もあってあまりにも搾り取るのも資本家にとってあまり都合がよくないわけで、資本家側が十分に儲けたあとの残りをお情けで労働者側に放り投げて与えてくれることはあるだろう。
まあ、現状の与党主導の賃上げはこれでしょう。
 
 
現時点で労組が野党を見限って与党にすり寄るとする。これはいわば身売りなわけだけど、現状の与党一強状態で高く売れるわけがない。身売りとか裏切りってのは、その行為が勝敗に決定的な影響を与えるときに大きな意味があるわけで、そのときなら高く売れるわけです。
現時点で労組が与党に身売りすると、野党はもうさらに壊滅的な打撃を受けることになり、与党の基盤はますます盤石になる。するとかえって労組なんて与党にとっては不要になるわけ。もともと対立していた「敵」が、勝ち馬に乗ろうとしてすり寄ってきたら、とりあえず甘いことをいって引き入れて、あとは好きなように料理し放題ですね。貢ぐだけ貢がせて捨てるのが基本です。
これがリアリズムだよね♪
 
 

そんなわけで、資本家に構造的に利害が対立する労働者が自分たちの利益実現を政治の場で求めるのであれば、資本家を支持基盤とする保守政党にすり寄るのはなんの意味もないというかほとんど自殺です。コスパの問題まで考慮したとしても、野党に協力したほうがはるかにマシ。特に、労組の協力がなければ勝てない野党に労働者の利益を実現させるのがどう考えてもよいということになる。
 
 
ところで構造的に対立する間柄であれば、利害調整というのはなおさら必要だというのも道理であり、ご存じないブクマカも多かったようだが現実に労組は自民党にロビイング活動をしている(そのことを指摘したブコメもあった)。とはいえ、対立する勢力が互いに勢力が拮抗しているときこそ利害調整が本当に意味を持つわけであり、与党へのロビイングを重視する立場からいっても野党がもっと強くなければならない。
 
 
とにかくね、構造的・原理的に考えても、マキャベリズムにのっとって考えても、功利的に考えても、労働者の利益を政治の場で実現させるためには野党を強くする以外の方法なんてないわけ。野党がだらしなかろうが、労組が腐敗してようが、他の方法はないっす。少なくとも僕には思いつかないし、他の方法を考えついたら政治史に残る大発見というか革命的な出来事なんじゃなかろうか?
 
 
たぶん、このあたりの論考に対してキイキイとなんの中身もないレッテル貼の攻撃する連中がいるとは思うけど、これは与党の支持基盤は資本家であるという事実と資本家と労働者は構造的に対立するという事実に基づいて考えると自明の結論となります。歴史的に労働運動とか労働者の政党がどういうロジックで成立したかというあらっぽーい説明にもなっている。労働者側が保守政党に頼ってこなかったことにはリアルな理由があるわけです。先人は馬鹿ではない。
 
 

次に応答するのは「労組は自分の利害以外のことも強制されるからだめ」とかいう意見だ。ブコメにもいくつかあったが、この意見をこれからdisるので名指しの引用はしない。
 
 
これね、気持ちはよーくわかる。政策セットを押し付けられるのは嫌だよね。
しかし、気持ちはわかるんだけど、政治的に活動するというのはどういうことか理解ができていない。
 
 
他者と政治的に協力するということは、自分の問題を他者にも担ってもらう代わりに、自分の問題を他者に担ってもらう他人の問題を自分が担うということだ。他者の協力が欲しければ、同盟するか雇うしかない。金持ちならば傭兵をやとって、自分のしたいことだけに注力できるだろうが、持たざる者は他者と同盟をくんでお互いの問題を共有して対処するしかないわけだ。
 
 
例えば、だ。
表現の自由」なり「労働者の権利」なりのシングルイシューを唱えてある候補が選挙にとおったとしても、その意見を通すためには大抵の場合はいずれかの政党に属して自らの発言力を担保しなければならない。議員ひとりひとりに長々と発現させるような時間的なリソースの余裕はなく、無所属の一匹オオカミでは議会で発言の機会すらそうそう与えられない。
そこで政党に属したとすると、政党には党議拘束というものがあり、「表現の自由」とか「労働者の権利」とかいうシングルイシューだけで活動することは認められない。自分の問題を党にやってもらう代わりに、党の提起する他人の問題もやらなければならない。
これ、政党政治どころか、他者と協力して生きるということの根本だよね。
 
 
なんの見返りもなく言うことを聞いてくれるってのは、パパママくらいなもんです。
自分の利害や興味関心と関係ないことはいっさいやりたくない。労組や政党に関わると自分の利害や興味関心からはずれたことをしなければならないからご免だ、というのは、「労組や政党が僕のパパママじゃないから嫌だい」とガキが喚いているのに等しい。僕もガキだから気持ちはわかるけれど。
 
 

さてここで先ほどの問題にもどるのだが、他人の問題を共有するといっても、その「他人の問題」が自分の利害と相反するものであったら、さすがに協力などできない。いくら労働者が苦境を訴えていても、財界を支持基盤とする与党自民党が労働者の利益を本気で実現しようとするはずがない。
同盟とか協力というのは、利害が対立しないところではじめて成り立つものだ。本当に当たり前のことですよね。
 
 
そして、利害が対立しない限りにおいては、自分の利害ばかりを主張してはならない。協力して力を合わせなければ、自分の利益を実現するだけの力を持つことはできない。政治ってのはそういう風に成り立っているわけです。
シングルイシューではせいぜい泡沫政党にしかなれず、政治的な力を持つためには利益が相反しないひとたちを広く集める必要がでてくる。    
 
 

というわけで今回は徹頭徹尾、政治におけるリアリズムの根っこのところを焦点に据えました。徹頭徹尾、当たり前のことしか書いてません。
この辺りの、構造的な対立と同盟協力の必要性を前提として、ようやく労組が護憲だの平和だのと念仏のように唱えるわけを説明することができる。次回はこのあたりの話をします。
会社の決算で忙しいんで、ちょっと時間がかかるかもしれない。